敦賀ムゼウム
敦賀港に建つ「敦賀ムゼウム」
予備知識なしにふらっと寄りました。
(ムゼウムはミュージアムのことだと思われます)
敦賀港は1899年に外国貿易港の指定を受け、
さらに欧亜国際連絡列車(欧州~東京)が運行し
欧州ーウラジオストクー敦賀ー東京へと繋がっていたのです。
敦賀は大陸への玄関口として栄えた国際港だったのです!
(越前カニが獲れる港だということしか知りませんでした(>_<)
数年前、反町隆史が演じた杉原千畝のドラマを覚えていますか?
日本のシンドラーと言われた人物です。
ドラマを見るまでわたしも全く知らなかったのですが、、、
1940年、杉原千畝が発行した日本通過ビザにより
ユダヤ人難民たちは欧亜国際連絡列車に乗り、ウラジオストクへ
そして船でこの敦賀の港に着いたのです。
命からがら祖国から逃げてきた人々の目に映った日本、
甲板から見る敦賀の街は天国に見えたとの証言があります。
敦賀の人々は初めて見る大勢の外国人を温かく迎えたそうです。
はっきりした数字はわからないそうですが、
6000人くらいのユダヤ人が敦賀に上陸したようです。
1920年には、シベリア動乱で家族を失った
700人ものポーランド孤児がやはり敦賀を経由し
東京の日本赤十字社に避難しました。
敦賀の人々は短い時間ながら子供らに差し入れをしたり、
宿泊や休憩のための施設を提供しました。
http://www.miraikoso.org/66miraihyodo/Japan_Poland/Poland_Japan.html
だれもいなかったので…
館内のビデオを見つつ心打たれ……
年のせいか、感動するとすぐ泣くので………
非常に困ります^_^;