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北國文華

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『北國文華』は石川県の北國新聞が刊行する文芸誌である。

その歴史は昭和20年に遡る。地方紙が創刊した文芸誌で、

こんなに長く続いているのは全国的にも珍しいのではないかと思う。

その存在は知っていたが、これまで手に取ることはなかった。

しかし、長谷川等伯の特集となるとやはり興味がわく。

北國新聞は平成22年から「長谷川等伯ふるさと調査」を実施、

今は第2次調査に引き継がれている。

この調査による新発見も多々あり、成果を上げている。

 

特集は調査の結果を踏まえたもので、読み応えがある。

相変わらず安部氏のはいただけないが…(小声)

 

 

等伯は戦国の権力闘争の中を生き残った絵師である。

勝ち残ったと言ってもいい。

絵師として己の天賦の才を全うするには

権力の側につかなければならないことを彼は知っていた。

ヨーロッパの宮廷画家たちがそうであったように

芸術は権力のもとで花を開かせた。

芸術家なる曖昧な職業が市民権を得たのは

人が近代的自我に目覚めてからの話だ。

この時代の芸術の担い手は

才能プラス企業人のセンスを今よりずっと必要とした。

等伯は権力を追いかける、、追いかける、、

今わの際まで権力を追いかけた人物である。

等伯の上洛は満を持してのものであったと私は確信する。

養父母の死によって解放されたとか、腕試しをしたかったとか

そんな理由で上洛するわけがない。

等伯には絶対の勝算があったはずだ。

それだけのバイタリティー、情報収集能力、戦略をもっていた。

謎の17年間? それは現代に残る資料がないだけだ。

等伯は絵師として描いて描いて描きまくっていたはずだ。

「松林図屏風」は息子を失った虚無感から生まれた…?

あるいは故郷を思う郷愁だと…?

とんでもない!とわたしは思う。

そんなセンチメンタリズムで等伯は仕事をしない。

彼はね、天才なんですよ! 

狩野派との確執? むしろ協業していたとわたしは思う。

時は空前の建築ブーム、仕事は山のようにあったのだ。

永徳さんは完全に過労死ですよ!

供養のための「大涅槃図」? これもストラジティである。

等伯を、法華信者のエネルギーを甘く見てはいけない。

 

 

長谷川等伯、めちゃエキサイティングです!