花換えましょう
男も女も、老いも若きも、桜の一枝を手に
「花換えましょう」
「花換えましょう」
と言い交わし相手の花と交換する…
桜の枝が取り持つ恋もあったようですよ~
春のうららの神事です。
桜の枝は神様の仲介である福娘さんに交換してもらった後は
一年間のお守りとなります。
花換えましょう
花換えましょう
たくさんの人と換えれば換えるほどご利益があるとか…
昔の人は粋なコミュニケーションツールを考えたものです~
金ヶ崎城は日本の歴史に二度その名が登場。
一度目は「建武の新政」後のごたごたの中である。
(このごたごた何度読んでもすっきり理解できない~(>_<)
後醍醐天皇のもと、新田義貞らは1333年に鎌倉幕府を滅ぼしたが、
その後足利尊氏らと対立し、南北に分かれて政権が乱れた。
一行は金ヶ崎城を拠点とするも足利軍に攻められ落城(1336年)
金崎宮は亡くなったこの二人の親王を祀っている。
義貞も足利軍との戦いで1338年には戦死している。
彼の墓はもう少し北上した丸岡にあった。
今は訪う人も少ないようだ・・・
時代は下って、
浪々の身であった明智光秀は
翌年には娘の玉、後の細川ガラシャがこの地で誕生する。
話を金ヶ崎にもどそう。
戦国の立役者たちが金ヶ崎城に集結したのは1570年、
信長は朝倉氏討伐の軍をおこし敦賀に進軍した。
ところが浅井氏の裏切りにより信長軍は窮地に陥る。
兄信長を心配したお市の方が
両口を紐で結んだ小豆の入った袋で挟み打ちを暗示
…というのがホントかどうかはわかりませんが、
それが届けられた場所です。
そして、秀吉大手柄エピの「金ヶ崎退き口」の舞台ですね~
信長、秀吉、家康、利家、、、
戦国ファンにはたまらない場所です(*^。^*)
さてさて、
おなじみ天上天下唯我独尊のポーズです(*^。^*)
誕生仏は小さくてかわいい~
甘露、甘露と甘茶の供養、長閑な春のひとときでした。
このお寺の観音堂で自害したのでした。。。
まだ27歳と18歳、うら若き青年たちでした。。。 合掌